日本人はどうして「かなしみ」という否定的な感情に親しみを覚えるのか、
というのを、いろいろな視点から考察する本。
考察の材料は、短歌や詩から。
この引用される短歌がいいなーと思う。
大分前に読み終わったので、特に覚えているところもなし。
6章以降が面白かった記憶。
本居宣長の「安心なき安心論」が面白かったー。
死ぬことは神様が決めたことだし、死ぬことは悲しい以外のなにものでもない。
だから、人が死んだら悲しむことしかできないし、
悲しむことをきちんとすることが、神様の決めた世界の決まりなんだから、安心できるって話。
それは、楽しいことを楽しいと思えることと一緒で、自然におこる気持ち=おのずから。
自然の無常は、春夏秋冬を繰り返すという変わらないものの中にある。
人の生き死にの無常さも、この世の中という変わらないものの中にある。
だから、人が死ぬことのかなしさは、大きな流れの中に組み込まれていく。
死ぬことに対して、なす術がないことへの悲しさとあきらめ。
宇宙の一部という感じ方は、かなしみを美しいものに変える。
日本人には、悲しみを楽しむ文化がある。
別れがあるのは、別れを告げる私と別れを告げる相手がいるからだ。
私がいて、あなたがいるから、別れの中に悲しみが生まれる。
悲しみを感動という記号にして、消費する。
谷川俊太郎の「かなしみはあたらしい」という詩がスキー。
詩というか、かなしみにあたらしいという修飾をするのがキタ。
P193
わたしたちのかおから
めをそらさないでください
たとえわたしたちのめが
あなたをみつめていないとしても
あなたのきらいなだれかに
むけられているとしても
わたしたちのかなしみを
あなどらないでください
わたしたちはあなたのように
つかれてはいないから
かなしみはあたらしい
よろこびもいかりも
わたしたちのこころを
あなたとおなじと
おもわないでください
合唱曲として曲もついてたー。
http://www.youtube.com/watch?v=4Ez4hB5MaSY