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http://www.barks.jp/news/?id=1000087496 http://www.rokkyuu.com/live-report/goats-black-out-february-9-2013-silence-2/ 月日が流れるのは早いものですね。 冬から春、もう初夏かな? 3ヶ月経ちました。 山羊さんが大好きだったのが嘘のような生活を送っております。 あまり、情深くない性質のようで… それでもへっでっくとか、ふーざまとか、バベルとか。 はげしめの曲を聞くと、もうライブでは聞けないんだな、と切なくなります。 ライブについてはもう覚えていないし、DVDがもうすぐ発売になるので、 そちらを見て、思い出したいなぁと思っています。 が、やはり自分の中に強く残っている記憶がなんだったかを、 記録しておくのも悪くないし、 DVD発売前に山羊さん解散に寄せての文章も書いておきたいと思いまして。 本番前、あかやが普通に機材を見に舞台上にあがってきたこと。 壁にうつるりょうさんの影。 「かたんどーる」でせくしーぽーずをとってりょうさん。 最初の方で泣きそうになっていたはちさんを、泣かないでーって見てたのに、 自分も泣いてしまったこと。 ハートの紙が降ってきたとき、みんなの手が上に上がっていたこと。 はちさんのベースの調子が悪くなってしまった時、りょうさんがはちさんの肩をがしっと抱いたこと。 それから、はける直後に頭をガシガシかいて、お辞儀をしてはけていったりょうさんのこと。 鈍感な私は、最後の最後まで解散の意味が分かっていなかった。 けれど、りょうさんがはけた時、この人とは二度と会えないのだと思って泣いた。 エンドロールで流れた写真が、遺影みたいで縁起わるいよーと思いながら、 タオルがびちゃびちゃになるほどにね! あんなに声をあげて泣いたのは久しぶりだったなぁ… 冒頭で、「大好きだったことが嘘のよう」とか書いたくせに、 やっぱり、あのシーンを思い出すとまだ悲しい… それが好きゆえにか、悲しさを忘れられないゆえにかはわからないけど。 だって、今はとくに大好き!とか思わなくなってしまったのです。 なんでかなぁ? CDを棺桶に入れて欲しいとも思わないしねぇ… 歌詞とか音楽とかじゃなくて、山羊さんのライブが好きだったのかも、と思い始めています。 りょうさんの歌う姿が好きだったし、ひとつ居場所をくれた感じがして。 感情とかそういうのに疎くても、なにかしらを与えてくれて、素敵だなって思えて、 音楽に体をゆらして笑って泣いて。 それが安心してできたのはりょうさんが大好きだからです。 無条件に信頼できるでっかい人。 また歌っているりょうさんに逢えたらいいな。 とかなんとか言っちゃってー! なに言ってもうすっぺらいわ。 よくわかんないや。 蛇足にてついった。 わーい今日は山羊さんの最初で最後の特別なライブだぜー。
山羊おわた。パンパンだと動けないストレスぱねー。が、相変わらずりょうさんが麗しく満足です。 ついった見ても、終演直後から記憶放棄してるもんな…
名古屋に向かいます。完璧は求めないからなんでもいいから楽しいライブになりますように。 youがとても好きで。
いや〜歌ってるりょうさんがかっこよくて、一番好きだ。りょうさんには幸せな道、悔いのない道を歩いて欲しいです。と思ってがんなきしたのは私です。 他のことは忘れてしまったけど、 セトリ you dye an unease BABEL 軽蔑 Panta rhei BLANK BLACK 690min float Canaria 揺り籠 Table of the Mortal Sins Who's the MAD 甘美な死骸 8秒 ついった 軽蔑の「あーそばに」でうるっとキた以外はめっちゃ楽しかった!久々だよ〜。ロフトも当日券で行けたら行くわ。 セトリは検索でいただきました。 なんか、テンションの高さに笑う。 相当楽しかったみたいで、よかったね〜って我ながら思う。 ひとみさんが、ナインのつくバンドは、アリス九號.とナインゴーツだけ! 「ナインゴーツブラックー?」 「アウトー!」って掛け合いが面白かった。 MCでりょうさんが毛穴から楽しんでって言ったので、毛穴から楽しかったと言っている。 りょうさんのMC、まじめさからくるおかしみがたまにあって、それが好きだったな。 アルバム想いをこめて頑張って作ったから、持って帰ってね! みたいなことを言っていた。 アンコールがすごかった。 けどやらなかった。 私は、やるなら聞きたいのでアンコールに参加したけど、 楽しかった!が先だって、名残惜しいとかそういう気持ちはあまりなかった。 すっきりとしたライブだった印象。 この日は泣いてないしね! ライブ中の動きなどの記憶はなし。 ブログに書く気が元々なくなってきているから、覚える気もなんもない。 ただ、自分の感情には敏感になってきていた。 自分がどう思うか… ライブの楽しみ方としてはどうかなーと思っている今日この頃。 2012年だし記憶もないけど、セトリとついったをまとめるために。 対岸に行っちゃった。お別れが始まって、小さくなっていく山羊さんを見送ることしかできないのかな…?一緒に終わりたいな。
山羊さんライブに行き過ぎているのか、記憶の定着が回を追うごとに悪くなっている。 「裁くのは自分の中の自分だ。」 「思うままに生きようなんて甘すぎる。 甘すぎてタールのようだ。 タールのような泥沼から抜け出そう。」 「神よ人は生きているだけで罪ですか? 月は人を狂わせるというけど、月の光は人の理性を奪うだけではないのですか?」 「思うように生きていいと思います」 最近のりょうさんは、獣のようだと思っていて。 手袋を噛んでとったり、目つきがギラギラしているのを見ていて。 でも、多分ROMEOだよね…?叫ぶのって。 叫んだあと、上を見上げたりょうさんの目がとても純粋に見えた。 獣なのになんて純粋な目をするんだと思ったら、切なくなりました。 どうして彼は獣めいた行動をとるようになってしまったんだろう? 何かに傷つき、抗っているのかな、それとも憎しみ? 分からないけど、何かしらの理由があって彼は獣になっているのかもしれない。 最初から、獣が獣であったのか?という疑問。 てゆか、獣だから怖いっていうのは私の勝手だもんね。 願いは、あかやに向けての曲だったのかな? 思うように生きていいと思います、って言葉を含め、 生と死から生まれる別れではなくて、生きているからこそある別れというのもあるんだろうな。 どう生きてゆくか。生きているから別れることもある。 けど、生きていればいつかまた会える。 そういう願い。 あかやリクエストの夜想。 最近はせわしない曲が多いので、この曲はおちつく。 いい曲だなー。 ヘデックであかやが暴れた後、頭を抱えてフラフラしたかと思ったら倒れこんでしまった。 それを見たりょうさんが、歌いながら笑ってしまって、 「死ねばいいのに!」って普通に言っていた。 ササブチさんが叩いたドラムにテンションあがった。 ドラムって人によって違うもんなんだと実感した。 銀のパラソルの時に、りょうさんが摩天楼様にもたれかかって、 摩天楼様が後ろから抱きしめていたシーンが頭から離れません。 りょうさんはどちらかというと、男性的なイメージだったのに、おかしいな… 以前、髪の毛が長い方を客席に向けているときは女性、短い方を客席に向けているときは男性、 と思ったこともあったけどもね。 もたれかかったときの首筋とそこにかかる髪の毛、手で身体を抱きしめている様が、 女性を思わせたのだと思う。 銀のパラソルの左右のステップオモロ。 ラクリマカバーで、うたがギターを弾いているのを見ているりょうさんが、 お父さんみたいで、ほほえましかった。 私はうたギターの実力がわからないんだけど、結構放送ぎりぎりだったんかな…? 思うように生きるって難しい。 「思うように」が難しいもん。 生きているだけなら、自殺しない限りまぁまぁ続く確率があることで。 やりたいようにやってもいいと申されましても、 やりたいことがありません。 ただ生きているだけです。 申し訳ありません。 やりたいことってなんですか?ってそこまでバンドに聞くほど馬鹿じゃない。 誰か教えてくれないか?ってたまには思うけど… 持たざる者が持つ者の作ったものをみて、 感覚の違いが起きるのはしょうがないことだけど、 持つ者が持っているものがうらやましくて仕方がなくて見続けている私にとっては、 こういう瞬間に勝手に傷ついてしまう。 持つ者と少しでも共通の想いを抱けているような錯覚に陥っているだけにね… 私は、ゆるやかなつながりの中で、 素敵なものを見せていただいているだけということを早く覚えたい。 個人的なことなんだけど、私はあかやが脱退するというのに、 全然悲しくないんだよね。 悲しいねって言う事にはためらいもないし、言ってそれは嘘じゃないと思うんだけど、 でもやっぱり悲しくないよね。 悲しいか悲しくないかだったら、悲しいし悲しくないんだ。 つまり、どうでもいいということなのかな? よくわからない… 私にとって、もともとあかやがいようがいまいが関係なかったのかと思うと、 申し訳ない気持ちになって、申し訳ないからいなくなることを悲しまないといけないと思ってるのかも。 次のライブで自分がどう思うかが肝だなー。 どうも思わなかったなって思いそう… 追記にツイッタとセトリ 嵐の中行ってきました。
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